『ファイ phai φ 人文論集鳥取 電子版』は、遥かな未来への緩やかな移行。小舟の後ろの、扇状の航跡。さざめき戯れる、無限のさざ波。

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<連載評論>
山白タイトル

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 1.遺作・遺言

 ソポクレス(Sophokles,前496又は5~406)の悲劇『コロノスのオイディプス』は、作者の最晩年、前406年、齢90歳の死の直前に書かれ、その後、前401年に孫によって初演された遺作である〔*1〕。当時アテナイは敗色の濃いペロポネソス戦争の渦中にあり、ソポクレスの死の2年後、ついにアテナイは降伏し戦争は終結した。第2次ペルシャ戦争の奇跡的な勝利(前479年)の後、デロス同盟の盟主として前5世紀中葉以来栄華を誇ったアテナイの黄金時代もまた凋落へと転じたのだった。その危機の境目の中で書かれた『コロノスのオイディプス』に、敗戦の屈辱におののくアテナイ市民へ向けた政治的・宗教的・倫理的なメーッセージが籠められていることは当然のことであったろう。ほぼ前5世紀の全体を通じてアテナイの政治と文化の精華と共に生きた、名声に充ち満ちた市民にして老詩人の遺作は、文字通りアテナイ市民への遺言として真摯に受け取られたであろうことは想像に難くない。
 その「メーッセージ」とは、例えば次のようなものであったろう。

 2.コロノスまで

 テーバイの王、「あるとしある人に名高い」〔*2〕オイディプスは、自らそれと知らずに犯してしまっていた恐るべき、二重の大罪が暴露されると、絶望のあまり両眼を自らの手で潰して盲目となり、たちまちの内にテーバイから追放される身に転落した。二本脚の人間として類まれな知力でスピンクスの謎を解いてテーバイを救った英雄でありながら、実は父を殺し母と交わるという、四本脚の獣にも等しい所行を働き、その報いとしての盲目ゆえに、壮年でありながら三本目の脚=杖に頼らねばならず、皮肉にも自分自身がスピンクスの謎そのものと化してしまったのだった〔*3〕。
 彼の行く所、物乞う所、夜露を凌ぐ所でオイディプスを忌み嫌い追い立てる者の居ない所はなく、その不幸、惨めさ、醜さ、穢れで彼を凌ぐ者などヘラス(ギリシア)中にあるわけもなかった。テーバイからの追放時はまだ壮年であったが、長い歳月を経る内に老いさらばえ、今や成長した娘アンティゴネに手を引かれて諸国を流浪し、休息しようと路傍の石に坐るにも彼女の細々(こまごま)とした介助無しには満足に出来ない有様である。娘盛りを父親に付き添って伴に彷徨(さまよ)うアンティゴネも、父親と変わらぬ哀れな風体だが、この重すぎる義務に彼女はけなげに耐え抜いて来た。その坐った石のある場所は、アテナイ郊外のコロノスの「エウメニデス(恵みの女神たち)」の神域内の触れてはならぬ聖なる石であった。土地の者からそのことを知らされるとともに、早速追い立てを受けたオイディプスは、この神域こそが、かねてよりアポロンによって予言されていた自分の終焉の地と悟り、追い立てを決然と拒み、土地の老人達からなるコロス(合唱隊)にアテナイの王テセウスを呼ぶように求める。

オイディプス:[…]おれは聖なる者、神を畏れ、この国人に利をもたらす者として来たのだ。この国の主、お前達の支配者がここに来た時に、その時にすべてを聞いて、悟るであろう。[…]〔*4〕

 やがて「この国の主」たるテセウスが現れるが、オイディプスがアテナイにもたらす「利」については、テセウスにもなかなか要領を得ない。ただ次のような、オイディプスにとっても、テセウスにとっても、重要な関心事となるであろう危機について仄めかされるだけである。

オイディプス:[…]テーバイとあなたとの間柄が今日はうるわしい日ざしの下にあったとて、数知れぬ時は数知れぬ昼と夜とを、その流れの中に生みいだして、その間に、つまらぬことから、今日の和合の誓いを槍でもってひき裂くだろう。/その時に、おれの眠っている埋められている骸(むくろ)、冷たい骸はいつの日か、彼らの熱い血潮を吸うであろう、ゼウスがいまだゼウスであらせられ、ゼウスの御子アポロンの言葉が真であるならば。だが秘すべきを語るのは愉しいことではないから、おれが言い始めたところで止めるのを許してくれ。[…]

 ここで、二つのことが表明されてはいる。一つは、いつの日にかテーバイがアテナイを攻撃して来るだろうということ。もう一つは、その時には、オイディプスの「冷たい」骸が、そのテーバイの軍勢の 「熱い」血を吸うだろう、つまり死者が生者を打ち倒すだろう、というのである。しかしそれは現に目の前にある事実を言っているのではなく、「いつの日にか」「その時には」という曖昧な未来での仮定、あるいは条件付きで述べられている。さらにもう一つの条件がある。「ゼウスがいまだゼウスであらせられ、ゼウスの御子アポロンの言葉が真であるならば」と。条件が二重三重に付け加わることで、直前に言われていた二つのことは、現実の生々しい切迫感を削がれて行き、そしてついには曖昧にもみ消されてしまう。「だが秘すべきを語るのは愉しいことではないから、おれが言い始めたところで止めるのを許してくれ」。
 「秘すべ」きことを語るかと思えば、途中止めにしてしまう、いかにも思わせぶりな、奥歯に物の挟まったようなオイディプスの言葉にもかかわらず、テセウスは真っ直ぐにオイディプスの言葉と身の上を受け入れる。

テセウス:[…]誰がこのようなお人の好意を無にできよう。その人には、まず第一に、戦(いくさ)の盟友として、いつでもわれらが家のかまどは開かれている。第二に、われらが神たちの保護を求めて、この地に来て、この地とわたしとに尊い酬いをもたらしている。これらのことをうやまい敬して、わたしはこの人の恵みを決して退けるまい。[…]

 3.アンチ・テーバイ

 庇護を嘆願する者に対する、この廉直な受容と歓待とが、テセウスが代表するアテナイ人のあり方、態度、すなわちエートスである。それはまさに、真っ直ぐに二本脚で立つ気高い「人」の有様である。片や、その流浪の出発点であったテーバイでは、まだ幼かった二人の娘は別として、もう一人立ちしていた二人の息子をも含めて、誰一人としてオイディプスを援助する者は無かったのである。
 この場面では、オイディプスを挟んで、と言うよりオイディプスを鏡として、オイディプスの罪とテセウスの清廉実直、アテナイのエートスとテーバイのエートスの欠如とが鮮やかに対照され映し出されている。この、人としてのエートスは、非エートスに打ち勝たねばならない、打ち勝つことが出来る、と暗にソポクレスはアテナイ市民に訴えかけ、勇気づけているかのようである。
 この訴え=メッセージはソポクレスにも、また当時のアテナイ市民にとっても、単に劇中のシチュエイション=状況に関わるに過ぎないものではなかった。歴史家の言葉に耳を傾けてみよう。

ソポクレスの死の二年後には、431年から続いたペロポネソス戦争が、ついに刀折れ矢尽きたアテネの完全な敗北によって終わっているが、その敗北はこの劇が書かれた時点で、すでに不可避であることは誰の目にも明らかだった。それだけでなく敗戦の暁には、アテネは降伏すら許されずに、完全に破壊されて亡ぼされる可能性も決して小さくないと思われていたと想像できる。なぜならスパルタと同盟しアテネの敵となっていた諸国の中には、そう強く主張していた者たちが多くあり、中でもテバイが、コリントと共にその急先鋒だったことが、クセノポン(『ヘレニカ』2,2,19)によってわれわれに伝えられているからである。/ところがこのようなアテネにとってすでに絶望的と思われた情勢の中で、ソポクレスの死の前年の407年には、スパルタ王アギスに率いられた敵軍が、アテネ市の城壁の近くまで不意に侵攻して来た。そしてその中の騎兵隊の主力を成し、以前の戦いでは独力でもアテネ軍を撃破したことがあって、絶対の優勢を確信していた900人のテバイ勢が、この劇の舞台となっているコロノスにほど近いところでアテネの騎兵隊と戦い、だれの目にも劣勢に見えたアテネ勢の意外な力戦激闘によって、惨敗を喫し多くの戦死者を出して撃退されるという事件が起こったことが、シチリア出身の歴史家ディオドロス(13,72)らによって伝えられて、われわれに知られている。(吉田敦彦『オイディプスの謎』)〔*5〕

 先の「その時に、おれの眠っている埋められている骸(むくろ)、冷たい骸はいつの日か、彼らの熱い血潮を吸うであろう」という劇中のオイディプスの予言・約束とピタリと照応する歴史的事実の記述である。コロノスのエウメニデス(恵みの女神)の神域の地下深くに眠るオイディプスの霊力がテセウスとの約束を果たし、アテナイに恵みを与えたかのようである。ソポクレスにとってコロノスはは、アンチ・テーバイ、アンチ・非エートスの聖なる拠点だったのである。

 4.解釈すること

 しかしそのような歴史的事実と詩作品の呼応や、困難な時局に対する励ましのメッセージの有効性だけで、この作品『コロノスのオイディプス』が、爾来2400年もの歳月を生き残って来た、と考えるのは迂闊に過ぎるだろう。近現代における印刷技術の発展や紙質の目覚ましい向上、また図書館や電子アーカイヴの整備によって物体(corpus)としての資料体が、今後も数百年数千年を残され続けて行くことは間違いがないことかも知れない。しかし、「作品」が生き残って行くこと、生き続けて行くことは、単にコーパスが技術的に保存される続けることとは、全く性質の異なることである。
 作品が生き続けるのは、それが絶えず、その時代その時代に、そのつど新しい解釈を呼び覚ますからである。ソポクレスだけをとってみても、ヘーゲル、ヘルダーリン、ニーチェ、フロイト、ハイデガー、ドゥルーズ=ガタリ……などのまさに「時代」を切り開いた詩人や哲学者・思想家たちの、ソポクレスとの「対決」と呼んで良い程の徹底的な「解釈」を呼び起こして来たのであった。
 解釈するということは、出来合の理論や簡便な図式を無理矢理作品に覆い被せることではない。それは優れた作品の核心、作品という構築物の内奥(ないおう)へと向かうのである。換言すれば、――奇怪なことだが――核心や内奥という最も眼に触れることの少ないものこそが、「解釈せよ」と強く命ずるのであり、解釈する者を呼び覚ます。しかし、その呼び声は、あたかも向こうからぶつかって来る災難ようなものであり、解釈することは、災厄の苦痛の中へ入り込んで行くことなのである。このことは、私たち現代人の屁理屈なのではなく、オイディプス自身が、つまりはソポクレス自身が、疾うに語っていることである。

[…]だが秘すべきを語るのは愉しいことではないから[…]

 解釈が向かう核心、作品の内奥とは、「秘すべき」何か、である。「愉しいことではない」「秘すべき」ことへと、解釈は歩み寄って行く。これらのことが奇怪に見える現代の私たちは、その歩み=パサージュ(passage)を、たぶん一から学び直さねばならないのかも知れない。
 この「愉しいことではない」が、しかし秘密に充ち満ちたパサージュを、オイディプス自身が身を以て演じている、というパッセージ(passage)が、この作品には含まれている。それは、オイディプスが「秘すべき」ことへと実際に接近して行く、この悲劇の、最も内奥の、文字通りの深い場所(topos)での出来事である。だがこの場所と、そこを行くパサージュとを、悲劇の観客は、そして現代の読者は、果たして「見る」ことが出来るであろうか? とまれ、その<passage>は次のような事情になっている。

 5.最期のパサージュ

 ある徴(きざし)がいよいよオイディプスの最期の時を告げる。それはゼウスの鳴り渡る雷(いかずち)と鋭く閃く稲妻であり、俄にシーンは特殊な気配に包まれ始める。むしろ、この気配の中で全てのものは異状な徴(しるし)と化してしまう、と言った方がよいだろう。異状な徴とは、それを読み解くこと=解釈することが殊更に困難な「謎」である。オイディプスとは何よりもまず、スピンクスの謎を解く者であったことを、ここで強調しなければならない。その「ここ」でこそ、オイディプスは最終の謎を明快に解くからである。老いさらばえたはずの彼の二本の脚は、ゼウスの徴と共に突如として力に漲る。アンティゴネの手引きを必要とするどころか、彼は先頭に立って、テセウスとその従者たち、娘のアンティゴネとイスメネらを導き始める。

オイディプス:娘たち、こちらだ、ついて来い。お前たちがそうだったように、今はおれが、奇怪にもお前たちの案内者となった。進め、おれにさわるな。このおれがこの地で葬られることになっているその墳墓をおれ一人で見出すことを許してくれ。/〔先に立って導きながら〕こちらへ、こちらへ。こちらのほうへ案内者ヘルメスと女神(ペルセポネ)とがおれを連れて行かれるからだ。[…]

 この悲劇の中で、――と言うよりわれわれが読むことの出来る「ギリシア悲劇」の中でも――最も美しいというばかりではなく、最も奇怪なパッセージであるから、別の日本語訳も紹介しておこう。

[…]だが、私に手を触れてはならない。この土地でそこに隠されることが、この私の運命になっている。聖なる奥つ城を、私に自分で見つけさせておくれ。こちらへ。こうだ。さあ、こちらへ歩いておいで。冥府の道案内のヘルメスさまと、地下の女神さまとがごいっしょに、私をこちらへ連れて行かれるから。[…]〔*6〕

 二つの訳文を並べたのは、どちらの訳が優れているか、などを比較するためではなく――そんな能力は筆者には無い――「こちらへ」「こちらの方へ」「こうだ」「さあ、こちらへ」「歩いておいで」という、「自分」の身体の方向(sens)、またその動きの確かさから来る指呼詞の豊かなニュアンスに注目するためである。あたかも、ヨチヨチ歩きを始めた幼子を励ますようであり、「こうやって歩くのだ」という範例(パラディグマ)を実際に示して見せる、慈愛に満ちた若く健康な父のようである。そして、この確かさ、健やかさは、オイディプスを、神々が、――ことに「案内者」「道案内」としての「ヘルメスさま」が――導いているからなのである。

(次号に続く)

【註】
〔*1〕「ギリシア悲劇年表」 『ギリシア悲劇全集 第二巻 ソポクレス篇』(初版昭和35年3月、再版昭和54年5月、人文書院刊) 本稿のソポクレスの作品の引用は原則としてこの版に拠った
〔*2〕高津春繁訳「オイディプス王」 前掲書
〔*3〕吉田敦彦著『オイディプスの謎』1995年7月 青土社刊
〔*4〕高津春繁訳「コロノスのオイディプス」 〔*1〕に同じ
〔*5〕〔*3〕に同じ
〔*6〕吉田敦彦氏による訳文 同上

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【執筆者紹介】山白有二(やましろ・ゆうじ)1950年鳥取市生まれ、鳥取市在住。表徴論。論文に「闇と空間―遠さの近辺」(1999年冊子版『ファイ創刊号』コンパス社)、「露草の夢―梶井基次郎「筧の話」を読む」(2000年冊子版『ファイ2号』コンパス社)、「青い眩暈」(2014年『鳥取文芸36号』)、「「尾崎みどり」の光景」(2015年『鳥取文芸37号』)など。

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『ファイ phai φ 人文論集鳥取 電子版 No.1』:山白有二「三本脚のパサージュ」


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